トレスデン世界遺産取消しで文化遺産について思うこと


遺産なんだから相続人たるドレスデンの市民がが決めればいいじゃないか、
というのも一理あるでしょうが、人類皆の遺産だとするユネスコ世界遺産の認定は、景観を犯す橋の建設を優先したことで、取消されてしまいました。
ドレスデンの場合は、市民の生活にかかわる問題として、橋の建設を推す声が多かった地元の世論調査を見ても、私としては、支持したいと思います
タリバンが勝手に破壊してしまったバーミヤンの遺跡の仏像とは別の問題でしょう。
世界遺産ばかりではありませんが、文化遺産の保護も事情はいろいろだと感じます。

アンネの家

嘗て何年か前、一人で訪れた時には、建物はほとんど当時のまま見学が出来、アンネ一家がナチスから身をひそめて暮らしていた時の様子が手に取るようにわかるようになっていました。特に心を入れて彼女の日記を読んだわけでもない私ですら、心を打たれたことを覚えています。
後年、娘と再び訪れて、驚きました。確かに「アンネの家」はありましたが、(管理している人は異論がおありでしょうが)原形をとどめていませんでした。おそらく、老朽化しそのままで見学出来ない程になったんでしょう。危険ですらあったのかもしれません。だから、あのような保全の仕方に、やむなくなったのでしょう。そういえば、確かに「博物館」となっていました。

アンネの家の場合、見せることによって、後世までメッセージを伝えるという面がある以上、明日香村のように完全に規制をかけてしまうこともできないでしょうから、これはこれで仕方のないことかもしれません。ただ、原形を知っているものとしては、「違う」と言ってしまいそうです。

最後の晩餐
これまたかなり前ですが、そぼ降る2月の雨の中、探しあぐねてたどり着いた閉館間近のサンタマリア・デレ・グラッツィエの、ほの暗い僧院の食堂の壁に浮かび上がった「最後の晩餐」。感動しました、しばらく立ちつくしていました。
その後、訪れてはいませんが、修復が成った今、おそらく奇麗にはなっているんでしょうが、間違いなく、私は失望してしまうでしょう、また「違う」と言って。


ストーンヘンジ

初めて訪れた時は、4月ながら脳天かち割られるばかりの寒風が吹きすさぶ野っ原で、脇で車で売っていた温かいスープの美味しかったことが忘れられません。肝心の巨石も、近くまで行くことが出来、見上げながら、何のためにどうやって作ったんだろう、と純粋に思ったものです。
その後、ここには、二度訪れる機会がありましたが、行く度に、遠くで見ることを余儀なくされるようになっていきました。前はあそこまで行けたのに、と。そういえば、どこかの国に落書きをした高校生だか大学生だかいましたが、ここでは、制限する以前は、削り取っていく輩がよくいたそうです。特にドルイド教の信者と称する者達によって。そんなこんなで、遠くから眺めなければいけなくなってしまったんでしょうね。ただ、夏至の時に限って、制限を緩めたようですが、大混乱になったようで、今年はどうだったんでしょう。



これ以外にも、このようなケースは数え切れないほどあると思います。そして、これらの文化遺産の管理にかかわっていらっしゃる方たちは、なんとか後世の人に見せよう・伝えようと最善の努力をされていると思います。そのことに敬意を表します。
ただ、一寸早く運良く見ることができた幸せ者として、手が加えられたものを見ると「一寸違うんじゃない」と、思ってしまうものですから。エゴですね。


でも、ルーブルのあのピラミッドは、賛成できません。
パリ万博で、エッフェル塔を作り後世に文化財として認めさせた驕りがあるんじゃないかと、思ってしまいます。あそこは、曲がりなりにもルーブル宮殿ですよね。

基本的に、保全には理由があってやむを得ないだろうな、と思いますが、あまりにも商魂がのぞいて見えると、辟易してしまうことがありますね。